Albert-Pierre Raymond
創業者、スナップボタンの発明者
新しいものを開発し、発明したものは特許で保護する。そしてそれを工業化しクライアントと常に緊密であるべしという企業精神と成功のキーポイントを次の世代に伝える。
1865
1865RAYMOND, ALLEGRE & GUTTINにより創業
手袋製造業の首都であったグルノーブル。
当時24歳の組立工だったアルベール=ピエール・レイモン、彫版士のイッポリート=ブノワ・アレーグル(Hippolyte-Benoît Allègre)、金メッキ工、アレクサンドル・ギュタン(Alexandre Guttin)は手袋用金具の初特許開発の為の協力者となる。
レイモン、アレーグル&ギュタン社の設立登記
アルベール=ピエール・レイモンドの写真
1868
1868商標「RG」
イッポリート=ブノワ・アレーグルの辞任。 二人の共同経営者Raymond & Guttin は現在もARaymond™商品において効力のあるRGという名の商標を登録。
ブーツスナップボタンのパンフレット
インクスタンプの「RG」の頭文字と「ボタン・金属部品メーカー」
「当社製品にはこれらのブランドのいずれかを付すこと」という言及がある3つの商標。
1872
1872紐靴の螺旋状フックの発明
Raymond & Guttin 社の初の成功!
ゴールドの螺旋状フック
レースアップシューズ用螺旋状フックソリューションの使用法を説明するポスター
1875
1875グルノーブルの 113 Cours Berriatに会社を構える。
アルベール=ピエール・レイモンは得た資産で1989年アール・ヌーボー様式の建物(100年後の A.Raymondグループ本社)次に息子アシールの為にアール・デコ様式で複製を建設した。
グルノーブルにあるARaymond社の歴史的な製造所の写真
1879
1879合資会社(SCS/Société en Commandite Simple)となる
Raymond & Guttinが企業を保護し永続させるために選んだ法的会社形体。それは今日2015年もなおレイモン・ファミリーが経営に深いかかわりがあることを示しています。
ARaymond SCS(合資会社)の法的立場
1886
1886スナップボタンの発明
手袋製造業は縫製用ボタンとボタンホールに代わるより実用的なシステムを求めていました。アルベール=ピエール・レイモンは「新スプリング留めボタン」または「スナップ・ボタン」を発明しました。直ちに世界的な大成功を収める
エングレーブ ばね式ボタン/スナップボタン
スナップボタン部品の図面
「Au bon marché Paris」、「Gants Nicolet Pari」、「Selfridge London」用の4つのエングレーブ スナップボタン
「Gants Jouvin」のエングレーブ スナップボタン付きホワイトレザー手袋
エングレーブ スナップボタンの「Gants Jouvin」をクローズアップ
12種類(色・サイズ)の手袋用スナップボタン
1890
1890A.Raymond製造所の誕生
アレクサンドル・ギュタンが自分の持ち分をアルベール=ピエール・レイモンに譲渡する。
この譲渡で A.Raymond製造所が誕生し、企業はここより家族経営企業となる。
すべての経営者の名前がAから始まる跡取りの家系の始まり。
スナップボタンの広告
歴史ある一族の邸宅の前に立つアルベール・レイモン
1898
1898バーデン州レラッハにドイツ子会社を設立
スナップボタンの発明における特許の知的財産権を守るためにアシーユ ・レイモン(Achille Raymond )は協力者ルイ・モリナールと共にドイツの拠点設置の責任を担った。モリナールは1914年までドイツ拠点の運営を行った。
レラッハにあるARaymond社の歴史的建造物
Louis Molinard
ARaymond Lörrach(ドイツ)のロゴ
1900
1900成功とともに20世紀を迎える
1900年の万博でアイボリーナット・スナップボタンの人形がパリ・グランプリを受賞。
コロゾ スナップボタン「人形」
1900年のパリ万博「グランプリ」受賞ポスター
レラッハ工場のイラスト
様々なAraymond スナップボタンの製品ディスプレイ
1903
1903ばね式回転ボタンの発明
自動車車体製造業と馬具製造業の為の留め金と回転ノズルの発明とともに自動車産業進出のはじめの一歩を踏んだ。この第二の発明も世界で大成功をおさめた。
ばね式回転ボタンの製品ディスプレイ
車両用ファスナーの製品ディスプレイ
アルベール・レイモンの全国戦争捕虜協会の会員証
1913
1913アルベール=ピエール・レイモン死去
偉大な人物で実業家であった彼は社員皆から敬意を表された。この時点で企業はグルノーブルに400人、レラッハに50人を雇用。
「Alpes Pittoresques」の抜粋。 産業界のリーダー、アルベール・レイモンへの賛辞
1914
1914ACHILLE Raymond
大実業家
度重なる戦争、経済危機、社会危機が容赦なく襲ってきた時代に会社を救う為、繊維産業、自動車産業など新しい市場に向けて生産内容を多様化した。